彫刻家 「高田 博厚 没後30年展」
6/13 「高田 博厚 没後30年展」を観る。(たかだひろあつ:彫刻家・随筆家 1900-1987)
石川県生まれ。芸術家として絵画、彫刻、音楽を追求する傍ら、思想家として、日本国内での幅広い交友関係や
30年近く暮らしたフランスでも多くの知識人と交流し、深い思索やその活動を残してきた。
東松山市高坂駅西口に1987年から「彫刻プロムナード」と呼ばれる通りに、計32体の彫刻が設置され、街のシンボルになっている。 今展では彫像のほか、素描や絵画、関連書籍を含め20点余りを展示。
1931年、妻と4人の子供を残し、単身パリへ渡る。渡仏早々にスイスのロマン・ロランに招かれ、彼の家に滞在していたマハトマ・ガンジーをスケッチした。以降27年間近くパリに滞在する。この間文豪ロマン・ロランや哲学者アラン、詩人ジャン・コクトーらと幅広く交流し、彼らから多くのものを吸収した。
会場の彫刻、絵画 展示作品 一部
自画像 1931年 高田が初めて描いたという自画像。これを持って岸田劉生の下を訪れた。このとき岸田が制作していた「麗子像」を見て画家を断念した。
彫刻
マルセル・マルチネ 1931年 フランスの作家・詩人
中原 中也 1959年 詩人
川端康成 1969年
ジョルジュ・ルオー 1974年
室町澄子 1978年 元NHKアナウンサー NHKの番組で知り合った
裸婦:女のトルソ 1942年
デッサン
マハトマ・ガンジー 1959年
ロマン・ロラン 1959年
ジャン・コクトー 1969年
ジョルジュ・ルオー 1959年
絵画
イザベル・ルオー ジョルジュ・ルオーの次女
会場は撮影禁止、それほど広くない会場だったが、その交友の中身は素晴らしく濃い。モデルの内面を探りながら形作る博厚の作品は、姿形や上辺ばかりを見たのではその思想にふれることは難しい。観る者には対象に深く潜る覚悟が必要かもしれない。しかし博厚はそれを他人に押し付けることもなく、自らを未熟として生涯仕事を続けた。人柄の良さをひしひしと感じさせる。
この芸術作品が高坂を飾ることになった経緯は高村光太郎と交友のあった柳田知常(国文学者)が旧姓松山中学校で教鞭をとっていたことがあり、同氏に田口弘氏(元市教育長・詩人)が師事していたことから
1987年「彫刻の道」に繋がってきた
改めてこの現代日本の最高の彫刻家の作品がわが街を潤していることに感謝と誇りをもち、芸術に対する姿勢を
正す良い機会であった。
6月17日には記念イベント「思索の灯」開催、第一部講演 高田博厚の生涯と思想、
第二部 コンサート 朗読と音楽、絵画によるファンタジー
が松山活動センターであったが、残念ながら聴講できなかった。
高坂図書館の片隅に ボタンクサギが咲いていた